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父の死について

2023/8/26


8月20日、父が息を引き取った。癌がわかった時にはステージ4で、7月上旬に入院して、8月20日昏睡になり他界した。


僕は当日の早朝に母から危篤の連絡を受け、新幹線で大阪の病院に向かい、意識のない父を看取ることとなった。母と弟と僕の3人で、個室の中で父の息が途切れるのを見た。その時涙は出なかった。相当元気だったとはいえ、83歳の父。平均寿命を考えれば十分かとも感じていた。そんな風に淡々と、直前に検討をつけていた奈良の葬儀屋にも連絡をし、粛々とやるべきことを進めていた。父の意向や宗派がまったくわからないまま逝去してしまったのと、母の意向で、様々な負担を考えて火葬式というシンプルなものになった。僕は心のどこかに葬儀はしてあげたい気持ちもあったが、その気持が明確になったのは火葬の当日だったのかもしれない。


というのも、父は社員が4名ほどの小さな会社を経営していた。社員の方々に葬儀はしないということを報告した時、妙に心苦しい気持ちはあった。結局、火葬前日に葬儀屋に社員の方々や幾人かの人が来たのだった。火葬当日、家族で葬儀屋に行くと、たくさんの贈られた供花が飾られていた。


その花を切って棺に敷き詰めていく。棺に寝ている父は、見たことのない痩せこけた老齢の顔ではあったが、切って入れた花が棺の中で鮮やかに彩られていった。父の遺体と花が美しいバランスを保っていて、これを、この父の姿を色んな方に見せてあげたいという気持ちが湧き出ていた。その花の数だけ、父が生前に慕われていた証なんだということを実感した。


そして死者を見送る時、それは故人のためではなく、見送る者のためにあることをその時に知った。これが最後なんだと、その父の姿を見てただただ涙が溢れた。まだまだ眺めていたかった。


それから、また父の会社のことや手続き等を弟と分担しながら、淡々とそして忙しく過ごして、ようやく一旦東京に戻ることになった。


戻ってからどんどん淋しさが募ってしまい、棺の父の姿を浮かべる度に泣いている。この空虚はなんだろうか。


2011年頃から僕は大阪と東京を隔週で行き来し、父の仕事の一部を手伝っていた。その報酬によって、なんとか画業をやりながら暮らせていた。隔週で行く度、父は僕を誘って飲みに出掛けた。ほぼ月2回のペースで一緒に飲むということを続けていれば、恐らく僕にとって最も一緒に酒を飲んだ人間は父だと言える。仲が良かったかはわからないが、父でもありながらある種の年の離れた友人のようでもあったと今になって思う。そんな存在を失ってしまったこと。もう一緒に飲むこともできない、話し合うこともできない。その淋しさがいまドッと心にのしかかってくる。



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